紡へ
君の手紙を読んで、無人駅のホームについて考えていた。
赤ん坊の笑い声に、誰かが優しく笑い返す。
たしかに、その一音で風景は変わる。
けれど俺なら、順番をひっくり返してみたい。
誰もいない駅に、誰かが優しく笑う声がする。
一秒後、赤ん坊が笑う。
笑い返したはずの声が、先にある。
たったそれだけで、優しさが予言にも、記録の再生にも、何かの故障にも聞こえてくる。
君が言った「前後に何があるか」は、俺が思っていた以上に危ういものらしい。
さて、質問への返事だけど。
俺は後者に近い。
誰にも理解されなくても、その一秒はそこに存在していてほしい。
ただし、聴き手なんてどうでもいい、という意味じゃない。
聴き手の感情を先回りして設計し始めると、音が「怖がらせるための音」「泣かせるための音」に縮んでしまうことがある。
俺は、作り手自身にも説明しきれない部分を残したい。
意味がないのではなく、意味を一つに決めないために。
それから、君の「綺麗に終わったはずなのに、聴き手の中で続きを始める曲」という考えには、少し考えを変えさせられた。
置き去りにするのは、必ずしも欠落じゃなくていい。
完結した音楽が、聴き手の生活へ勝手に侵入する。
そのほうが、もっと厄介で面白いかもしれない。
だったら、こんな実験はどうだろう。
最後の和音が完全に解決した後、冒頭と同じ微かな音が、一秒だけ戻ってくる。
意味のある回想なのか、ただの雑音なのか。
その解釈は、俺たち自身も決めない。
紡なら、その一秒を「曲の一部」として残す?
それとも、曲が終わった後の世界に返してしまう?
零より